24. 岩走り 激ち流るる 泊瀬川 絶ゆることなく またも来て見む
岩走り
激ち流るる
泊瀬川
絶ゆることなく
またも来て見む
万葉集巻6-991
歌人
紀鹿人
揮毫者
宇野 精一
歌の解釈
岩にぶつかり激しく流れ行く泊瀬川、その泊瀬川が絶えることがないように、何度もここに来て見たいものだ。
桜井東中学校正門入口の歌碑
大字出雲の東南、初瀬川のほとりの当市東中学校正門を入ったすぐ右手、北側に次の歌碑がある。
「石走多藝千流留泊瀬河絶事無亦毛来而將見」 宇野精一 碑面の万葉仮名を次のよみ下し文に改める。 「石ばしりたぎち流るる泊瀬(はつせ)河絶ゆる事なくまたも来て見む」(巻6-991) 「石ばしる」は、万葉集巻一に柿本人麿の近江の荒都を過ぐる時によんだ長歌に「石走る近江の国のささなみの大津の宮に」というのが初出で、巻一〇、巻一二、巻一五と詠まれていて、よく知られるようになった枕詞だ。
歌意は、岩の上を走って、はげしく流れるこの泊瀬川よ。川の水の絶えないように、途絶えることなく、また幾度も来て見よう」(『口訳万葉集』)というのである。
歌の作者紀の鹿人についてはさきの図書館東庭の歌碑の作者としてしるした。 彼は、跡見の茂岡の松の大樹に感嘆して前歌(990)を詠み、さらに東へ向かって旅を続け、泊瀬川のすばらしさにうたれ、この作をなした。当時はこの歌のような奔流だったのであろう。現地はあるいは、ここよりもっと上流だったのかも知れない。
染筆の宇野精一先生は、竜吟鏡東南隅の歌碑の筆者宇野哲人先生の長男であられる。 明治43(1910)年東京都生まれ、東大哲学科卒業。 東京高師、東京大学教授をへて現在東大名誉教授。昭和60(1985)年台湾行政院文化奬を贈られた。著書は『中国古典学の展開』『「周礼」の成立に関する基礎的研究』等、また別に宇野精一著作集6巻がある。