48.かぐ山は 畝火を をしと・・
香具山は 畝傍ををしと
耳梨と 相争ひき
神代より かくにあるらし
古へも 然(しか)にあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき
万葉集巻1‐13 天智(てんじ)天皇
歌の意味
大和三山の香具山・畝傍山・耳成山の間には、古い伝承に見られるような男女の間のいりこみがあって、一人の女姓を二人の男性が嬬争いをしたという。こうしたことは神代の頃にもあったらしい。人の世の遠い昔もそうだったのだろうか、だからこそ今の世でも男たちは妻を取り合って争うことらしい。
天智天皇
舒明天皇と皇極(斉明)の第一子。626年に飛鳥で生まれる。即位前は中大兄皇子。間人皇女、大海人皇子(天武)と同母兄。645年、中臣鎌足とはかり、当時権力を握りつつあった蘇我入鹿を暗殺。663年、白村江の戦いで敗れた中大兄皇子は、唐の侵攻に備えるため、近江大津京に遷都(667年)し、その翌年に即位し、天智天皇となった。大津京時代、庚午年籍(日本最初の戸籍)の作成や時を告げる漏刻の設置でも知られる。即位4年後の671年崩御。その翌年に壬申の乱が勃発し、大津京は廃絶した。 陵は、京都市山科区御陵上御廟野町にある山科陵に治定されている。
揮毫者 東山 魁夷
昭和期の日本画家。風景画家として多くの作品を発表。代表作に「残照」,「唐招提寺御影堂障壁画」など。文章もよく、著書も多い。
歌碑の場所 48番
井寺池の北西、柿畑をバックに据えられた碑に正対すればその視界に大和三山が飛び込んでくる。