下居(おりい)神社は境内が下(しも)、浅古、倉橋の三大字の境にある旧村社で式内社。参道入口は多武峰街道に面していますが本殿まで、およそ500メートルぐらいあります。途中に弘化三年(1847年)銘の金毘羅大権現の碑があり、やがて入母屋造りの拝殿につきます。本殿は檜皮葺の春日造りで祭神は彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)
創立年代は不詳ですが文徳実録(平安時代前期の歴史書)に「天安元年(857年)八月・・・大和国従五位下椋橋下居神。并授従五位上」とあり古い神社ということがうかがい知れます。江戸時代以降、天満神社と称した時期もあったようです。その他、境内に近年建てられた石碑に暗殺された崇峻天皇の子供の蜂子皇子とこの神社との関わりが記された石碑があります。静かな落ち着いた佇まいの神社です。