徳利塚古墳は別名植松西支群1号墳といい、桜井市高田に所在し袋谷川(寺川の支流)の両岸の尾根上に造られた古墳群で川の西側を植松西支群(徳利塚を含み3基で構成)東側を植松東支群(8基で構成)と呼んでいます。
昭和33年発行の桜井市文化叢書の「古墳」という本に徳利塚古墳は次のように紹介されています。「徳利の窟古墳」 高田の集落より字植松をとおり標高三二六米突の経ヶ塚に向かう尾根より左に分岐した尾根の1つ、高田寺跡に向かって西に伸びる尾根の南斜面に営造された古墳で、外形を知ることが難しいほど破壊されているが、一つの花崗岩塊を刳り抜いた棺身を有する古墳として特記すべきものである。」と紹介され昔は「徳利の窟古墳」とよばれていました。
徳利塚古墳は15m~20m規模の円墳又は方墳で主体部は南に開口する両袖式横穴式で全長6m、玄室長3.7m、幅1.9m、高さ2.2m、羨道検出長2.3m、幅1.5m、高さ1.8mで玄室部が2段積み、羨道部が1段積みに新しい要素が伺えます。棺は近江系花崗岩の刳抜式石棺(全長2.5m、幅1.34m、高さ1.15mの身の部分のみ残存)で石室規模に比べて大きな石棺と言えるでしょう。玄室北隅から出土した刀子以外築造時期をきめる有効な出土品がありませんが石室の構造等から6世紀後半から7世紀初頭の築造と考えられます。おすすめ古墳ですが、場所が判りにくいかと思います。時期としては冬季~初春がおすすめです。(夏場は雑草で、より見つけ難いと思われます)
図表は桜井市埋蔵文化財協会発行の「桜井の横穴式石室を訪ねて」より引用