志貴御県坐(しきのみあがたいます)神社は、三輪山の西南麓に南面する旧村社で、大和国に置かれた六御県(高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布)の一つです。御県坐神社とは、朝廷に献上する為の野菜を栽培する、神聖な菜園の霊を神として祀る神社といわれています。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、あるいは志貴連の祖神である天津饒速日命(あまつにぎはやひのみこと)など諸説があります。当社の初見は、天平2年(730)の大倭国正税帳の「志貴御県神戸・・・」であり、遅くとも8世紀初頭には存在していたと思われます。
境内の一角には「崇神天皇磯城瑞籬宮趾」(すじんてんのう しきみずがきのみやあと)の石碑が建っています。当地を磯城瑞籬宮趾とするのは、江戸中期の史書である大和志(1736年)に、「三輪村東南志紀御県神社西に在り」と記されていることにありますが、その根拠は不明です。いずれにせよ、このあたりは奈良盆地を見渡す場所に位置する交通の要所であり、古代大和王権、発展の拠点ともなった地域といえるでしょう。
拝殿の左手前に「磯城島の 大和の国に 人二人 ありしと思はば 何か嘆かむ」という万葉歌碑が建てられています。「磯城島の」は大和に掛かる枕詞で、「大和の国に、あなたのような人が もう一人いてくれたらとしたら、何をこんなに嘆くことがあったでしょうか」という意味です。