石畳の道と白塀が印象的な玄賓庵は、山の辺の道沿いにあります。平安時代の高僧・玄賓僧都(げんぴんそうず)が修業した場所といわれ元々、三輪山の檜原谷にあり、明治初年の廃仏毀釈で現在の地に遷されたといいます。 玄賓は河内の弓削氏の出身で、桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌って三輪山の麓で、俗世間を逃れて静かに暮らしました。世の交わりを断ったのは、一族から弓削道鏡のごとき暴悪なものが出たことを恥じ、修業に専念したという上田秋成の説もあります。今は真言宗の寺院として、静かに山の辺の道を行き来するハイカーを見守っています。
また玄賓庵は、世阿弥作と伝える謡曲「三輪」の舞台としても知られます。そのあらすじは、三輪山の庵に住む玄賓の許へ、日々花とお供えの水を持って通ってくる里の女が、ある日、玄賓に衣を一枚与えてくれるよう請います。乞われるままに衣を貸し与え、女の所在について尋ねると、「我が庵は三輪の山本、恋しくは訪い来ませ杉立る門」と言い残して姿を消します。
不審に思った玄賓は、後を追い三輪明神の近くまで来ると、2本の杉に、先程女に与えた衣が掛かっており、その裾に一首の歌が書いてあり読んでいると、杉の木陰から声がして、女姿の三輪明神が現れます。なんと女人は三輪明神の化身だったのです。神も人も同じように迷いがあり、玄賓僧都に接して仏道に縁を結ぶことができたと語り、その後、神話を語り、舞納め、夜明けと共に消え行くというストーリーです。この時に衣をかけたという杉が、大神神社の境内に残されています。