クリックすると拡大されます。(橙色の道が「忍坂街道です)
「大和の古墳」チャンネルより引用
忍阪と宇陀を結ぶ「忍坂街道」は古事記、日本書紀で知られる古道です。忍阪の集落の南入口には「忍坂道伝承地」の碑が立ち、記紀の伝承を語っています。
集落内には、舒明天皇陵、万葉歌人の鏡王女墓、衣通姫の誕生地と言われる玉津島明神、そして山が、ご神体の生根神社や、額田王の念持佛とも言われる、日本最古の石彫三尊像「伝・薬師三尊石仏」を安置する石位寺と、記紀万葉ファンにとってはとっておきの故地です。
特に、舒明天皇陵の前の小道を谷間のほうに歩を進めると、せせらぎの中に、ひっそりと犬養孝揮毫の鏡王女の万葉歌碑があり、そのあたりから視界が一気に拡がります。ここは、まさに万葉の世界の入口です!小鳥のさえずりと風の音しか聞えてこない、時間を忘れさせてくれる空間が、ここにあります。
前田繁馬と関為之助の2基の天誅組志士の墓がある。五条代官所を襲ったあと、破れて転戦中、この慈恩寺まで逃れてきて、ここで藤堂藩士に討ち取られた。
昭和36年8月に宝生九郎氏が、宗像神社入り口に向かって左の地に「能楽宝生流発祥之地」の約2メートルの石標を建立した。昭和37年5月には宝生宗家の記念能を催された。
外山の宝生流は大和能楽の4座の一つである。流祖は、観阿弥の子で、世阿弥の弟の連阿弥である。
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