忍坂山(おさかやま)は標高292m、「大和志」には恩坂山として「忍坂村東、連旦慈恩寺竜谷村、又有高円山小倉山之支別」とあります。万葉集巻八の 岡本天皇(舒明天皇)ご製歌の夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かずい寝にけらしもと詠われている小倉山とも考えられています。
5世紀に日本を統一国家にした、雄略天皇の泊瀬朝倉宮を眼下に見下す交通・軍事上重要な位置にそびえ立ち、南麓にはヤマト王権を支えた重要な拠点といわれる忍阪があります。 万葉集にも忍坂山は挽歌(人の死を悲しみ悼む歌)として、詠われています。隠国の 泊瀬の山 青幡の 忍坂の山は 走り出の 宜しき山の 出で立ちの くわしき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく惜しも 隠国(こもりく)は泊瀬(はつせ・・・長谷、初瀬)にかかる枕詞、青幡(あおはた)は忍坂山にかかる枕詞で、走り出は山のスロープ、出で立ちは山の垂直性を表します。「泊瀬の山、忍坂の山は、家から出て眺めると姿の良い美しい山である。この立派な山が荒れるのは本当に惜しいことだ」との意味と解釈されています。(日本古典文学大系・岩波書店)
千田稔氏は、産経新聞の「記紀万葉の風景」で忍坂山を「死者が葬られた円錐形の山」として「挽歌として位置づけられているのは死者がこの美しい山に葬られたからでしょう。」と述べています。 それらの事を裏付けるように、外鎌山(忍坂山)周辺は奈良県遺跡地図(奈良県教育委員会発行)では、朝倉台団地造成時に調査された外鎌山北麓古墳群(約35基)を含む126基もの古墳が存在しています。これらの古墳の多くはヤマト政権を支えた、王朝貴族、豪族の墳墓と思われます。
忍坂山へは近鉄朝倉駅から約10分で登山口に到着し約30分で登頂できます。頂上からは写真の通り奈良盆地を一望できる大パノラマが広がります。金剛葛城連山、二上山、大和三山、三輪山、鳥見山など見ごたえ十分です。
◇忍坂山(外鎌山)登山口までの道順(外鎌山愛好会推奨ルート)クリックすれば拡大します。
忍阪山(外鎌山)登山をスライドムービーでご紹介
外鎌山(忍坂山)山頂にて(二上山の落日)
忍坂山(外鎌山)歩いてみた